PCR技術を発展させた酵素開発の歴史
PCR技術の発展
初期のPCRは画期的かつ重要な技術である一方、重大な限界もありました。(McPherson and Møller, 2000)。研究者たちは、長い時間をかけて努力を重ね、新しいPCR酵素や装置の開発に取り組んでいきました。
この記事では特に酵素の開発に着目し、初期のPCRの問題点と、それを克服する新しいPCR酵素の開発について紹介します。
初期のPCRにおける課題
当初、PCRのDNA増幅には、DNAポリメラーゼⅠのクレノーフラグメントが用いられていました。しかし、この酵素は高温において安定ではなく、PCRの各サイクルの熱変性ステップで活性を失ってしまいました。さらに、伸長反応は低い温度(+37℃)で行う必要がありました。これらの点から、初期のPCRは以下のような問題があり、あまり便利とはいえないものでした。
- 実験者にとって非常に単調 (サイクルごとにクレノー酵素を加える操作は冗長な単純作業であるため)
- 費用がかかる(クレノー酵素を多量に使用するため)
- 非特異的な増幅を生じる可能性をもつ (+37℃ではプライマーがターゲットではない領域のDNAに結合し、その非特異領域が増幅されるため)
また、この技術は新しい酵素を加えるたびにチューブを開ける必要があるため、コンタミネーションを起こしやすく、反応につきっきりにならざるを得ないため実験者が一度に操作できるサンプル数が限られる上に、このPCRのプロセスを自動化することは容易ではありませんでした。
上記のような問題を解決するためには、長きにわたる研究努力が必要でした。そうしたなか、新たなPCR酵素や装置が開発されていきます。以下にその歴史を見ていきましょう。
PCR酵素の開発の歴史
研究者らによって耐熱性DNAポリメラーゼが分離同定されたことにより、PCR技術が汎用される可能性が高まりました。Taq DNAポリメラーゼは、PCRで使用される高温(+72℃程度)の伸長反応条件下で安定かつ最適な活性を示します。Taq DNAポリメラーゼはPCRで繰り返されるサイクル反応に対して安定であるため、従来のようにサイクルごとにPCRを止めて酵素を追加する必要がなくなりました(Saiki et al., 1988)。
その後、様々な改良が重ねられ、より精度と利便性の高いPCR酵素の開発が進みました。
1989年
David GelfandとSusanne Stroffel(当時Cetus社に勤務し、その後Roche Molecular Diagnosticsにて重要な功績を残しました)により、1986年に天然のTaq酵素が精製されました。ベーリンガー・マンハイム(現在のロシュ)は、このTaq酵素の組換え体を供給する会社の一つでした。
しかし、Taq DNAポリメラーゼには改善すべき点が残されていました。そのひとつに、この酵素には増幅中に起こる転写エラー(突然変異の可能性)を修正するプルーフリーディング活性がないという点が挙げられます。ほとんどの増幅反応では、このように時折発生する程度の突然変異は重大な問題ではありません。しかし、一部のアプリケーション(シークエンスのためのゲノムDNAの増幅や対立遺伝子(アリル)の多型研究など)では、どのような転写エラーからも誤った結果がもたらされる可能性があります。
プルーフリーディング活性を持つ耐熱性DNAポリメラーゼの発売によりこの問題は解決され、非常に正確な転写反応を必要とするアプリケーションのための、高正確性(high fidelity)PCRが可能になりました。
1994年
プルーフリーディング活性を持つ耐熱性酵素 Pwo DNA Polymerase が、1994 年にベーリンガー・マンハイム (後のロシュ)から発売されました。
反応の精度を改善するための別のアプローチとして、Taq DNAポリメラーゼとプルーフリーディング活性を持つ耐熱性酵素(Tgo DNAポリメラーゼなど)やその他のタンパクを組み合わせる方法もありました。
1995年
上記のような酵素ブレンドのひとつであるExpand High Fidelity PCR Systemが発売されました。
単一の酵素に代わる酵素ブレンドを使用することにより、プルーフリーディング活性だけでなく、より長いターゲットの増幅が可能になるという重要な利点がPCRに加わりました(Barnes, 1994)。
1996年
反応を最適化するためさらに入念な組み合わせが検討された結果、20kbの長さのターゲットを増幅するための酵素ブレンドが発売されました(Expand Long TemplatePCR System、1994年に発売開始)。続いて、35kbの長さのターゲットを増幅できる新たな酵素ブレンドが発売されました(Expand 20kbPLUS PCR System、1996年に発売開始)。
修飾 Taq DNAポリメラーゼにより、室温では活性を示さず、DNA変性温度において容易に活性化される「ホットスタートPCR」が可能になりました(Birch et al., 1996)。これは、トラブルの原因となるプライマーダイマーの形成を最小限に抑えることができます。
2000年
「ホットスタートPCR」のアプリケーション用製品としてFastStart Taq DNA Polymeraseが発売されました(2000年)。酵素ブレンド製品にこのFastStart Taq DNA Polymeraseを加えることにより(FastStart High Fidelity PCR System、2003年に発売開始)、ロシュはマルチプレックスPCRなど高正確性のホットスタートPCRなど、需要の高いアプリケーションに対応する製品システムを創りました。
以上、PCR酵素の開発とその歴史について紹介しました。こうして発展した新しいPCR技術は、今や基礎研究にとどまらず医療の現場、食品検査、犯罪捜査など様々な領域で活用されています。
参考文献
Saiki RK, Gelfand DH, Stoffel S, Scharf SJ, Higuchi R, Horn GT, Mullis KB, Erlich HA. (1988) Primer-directed enzymatic amplification of DNA with a thermostable DNA polymerase Science 29 Vol. 239, p. 487-491
Barnes W.M. (1994) PCR amplifi cation of up to 35 kb DNA with high fi delity and high yield from bacteriophagetemplates. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 91, 2216-2220.
Birch D.E, Kolmodin L, Wong J, Zangenberg G.A, Zoccoli M.A, McKinney N, Young K.K.Y. (1996) Simplified hot start PCR. Nature 381, p .445-446.
McPherson M.J. & Møller S.G.(2000) Reagents and Instrumentation: Early PCR experiments. In: PCR, BIOS Scientific Publishers Limited, Oxford, England, p. 35.
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