阻害剤の基礎知識―低分子化合物の正しい選び方
低分子化合物の性質を知って正しい阻害剤を選択しよう
生理活性を有する低分子化合物は、ライフサイエンス実験において有力な阻害剤として活用されています。例えば、細胞の運命、機能、表現型を制御する細胞シグナル伝達やその他のメカニズムの研究において有力なツールになります。しかし、低分子化合物には構造や生理活性作用の近いものが多いため、実験に適した化合物を選択するには正確な知識が必要になります。
化合物を正しく選び、適切に使用するために、まず何をすればよいのでしょうか。この記事では、実験に適した低分子化合物を選ぶためのポイントと実際の阻害剤の選択事例を紹介します。
実験に適した低分子化合物を選ぶための9つのポイント
まず、ターゲットに作用する低分子化合物をリスト化しましょう。次に以下の9つのポイントを参考に、低分子化合物を絞り込んでみてください。
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特異性が高いか、低いか
リスト化した低分子化合物が複数種類の標的生体高分子に作用するのか、それとも単一の標的分子に作用するのかを知っておきましょう。複数のターゲットに作用する場合は、妥当なコントロール実験を行う必要があります。 -
濃度によって標的分子が変化するかどうか
例えば、H-89は優良なPKA阻害剤(IC50=48 nM)としてよく利用されますが、高濃度下においてはPKC(IC50=31.7 μM)、ミオシン経鎖キナーゼ(Ki=28.3 μM)、Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼⅡ(Ki=29.7 μM)、カゼインキナーゼ(Ki=38.3 μM)を阻害します。 -
毒性があるか、またIC50が高いか低いか
同じ効果を表す低分子化合物であれば毒性が低い方を選びましょう。また、候補の中にIC50が低い化合物があれば、そちらを優先度の高い候補にします。 -
細胞に直接作用させるかどうか
生細胞に直接作用させる場合は、細胞膜透過性を持つ化合物を使用する必要があります。 -
反応が可逆的か不可逆的か
反応が可逆的な場合、作用時間は短くなりますがその作用を制御しやすいという特徴があります。一方、不可逆の場合は作用時間が長い分、副作用が現れる可能性もあります。不可逆的な反応はウォッシュアウト後の実験にも影響するため、計画的に用いる必要があるでしょう。 -
特異的な生化学的相互作用を持つかどうか
特に、競合型か非競合型かといった反応機構は実験結果の解釈に影響するため、事前に把握しておきたいポイントです。 -
どのように精製されているか
実験内容によっては低分子化合物の純度が結果を左右することがあります。純度を確認するのはもちろんですが、精製方法もチェックしましょう。例えば、同じ純度≧98%の低分子化合物の場合、HPLC精製品のほうがTLC精製品よりもよく精製されていると判断できます。 -
溶媒が実験系に適合しているか
エタノールやDMSOは1%までなら細胞に影響を与えませんが、アセトニトリル、ジメチルホルムアミドやメタノールなどは、低濃度でも細胞に対して毒性を発揮し、細胞の生存率を低下させる可能性があります。 -
保管時に遮光や除湿が必要かどうか
低分子化合物の種類によっては、光線や高湿度への暴露が化合物の品質低下を引き起こす場合もあります。説明書などで保管方法を確認し適切に管理しましょう。
低分子化合物の選択例:PKC阻害剤
がんやアポトーシスの研究によく使われるPKC阻害剤は、PKCの結合様式によって数多くの種類が存在します。それぞれ性質が異なるため、阻害したいのはどの標的分子かをよく考えて選ぶ必要があります。
生細胞においてセリン残基およびスレオニン残基に対する広範囲の可逆的なタンパク質リン酸化を阻害したい場合、Streptoyces sp.由来の細胞膜透過性化合物Staurosporineがよく使用されます。なぜなら、Staurosporineは酵素のATP結合部位に強力に結合するからです。Staurosporineは既知のセリンスレオニンキナーゼのほとんどを阻害します。
それでは、セリンスレオニンキナーゼのうちPKCの全アイソザイムを生細胞内で同時に阻害したい場合を考えてみましょう。上記のポイント④で紹介したように、生細胞内で作用を発揮させる阻害剤は細胞膜透過性のあるBisindolylmaleimide I(CAS 133052-90-1)です。この化合物はnMオーダーの非常に低いIC50(PKCに対して10 nM)を持ち、すべてのPKCアイソザイムを阻害できます。
さらに次のステップとして、生細胞においてCa2+依存性のPKCアイソザイムに対する阻害剤を選択してみましょう。候補となるのはGö 6976(CAS 136194-77-9)です。この化合物は細胞膜透過性を持つATP競合性の可逆的なPKC阻害剤(ラット脳PKCに対するIC50=7.9 nM)で、Ca2+依存性のPKCα(IC50=2.3 nM)、βI(IC50=6.2 nM)およびγ(IC50<10 nM)アイソザイムを選択的に阻害しますが、Ca2+非依存性のPKCδ、εおよびζアイソザイムはμMオーダーの濃度においても阻害しません。
しかし、PKCμアイソザイムに対するIC50は20 nMであることが知られているため、それよりも低い濃度での使用が推奨されています。
低分子化合物の選択例:プロテアーゼ阻害剤
プロテアーゼ阻害剤は低分子化合物から高分子のタンパク質まで多くの種類があり、一般的に、プロテアーゼの活性中心の性質によって阻害物質が異なります。そのため標的分子によって、プロテアーゼ阻害剤の選び方を変える必要があります。
サンプル中に含まれるプロテアーゼの種類が明らかでない場合には、サンプルの種類および用途に適合したプロテアーゼ阻害剤カクテルがおすすめです。プレミックスタイプのプロテアーゼ阻害剤も便利ですが、メルクでは表1に示すように必要な成分のみを混合した阻害剤カクテルも提供しています。
細胞懸濁液を調製する際は、培地等に分泌されたプロテアーゼの存在を意識しておきましょう。タンパク質解析においては、サンプル調製のなかで可能な限り早い段階において、プロテアーゼ阻害剤を使用する必要があります。
細胞を回収する前に培地にプロテアーゼ阻害剤を添加しておくと、プロテアーゼ阻害剤を最も効果的に使用することができます。一方、使用するバッファーにあらかじめプロテアーゼ阻害剤を添加して保存しておくことは推奨されません。なぜなら、細胞の種類に依存して分泌されるプロテアーゼの構成は変化するからです。
基本的にすべての細胞はセリンプロテアーゼを分泌しますが、バクテリアは他の細胞より多くのセリンプロテアーゼとメタロプロテアーゼを産生します。また、動物組織由来の抽出物は、セリンプロテアーゼ、システインプロテアーゼ、メタロプロテアーゼが豊富です。一方、植物由来の細胞抽出液にはセリンプロテアーゼとシステインプロテアーゼが大量に含まれています。
低分子化合物の選択例:カスパーゼ阻害剤
よく用いられるカスパーゼ阻害剤の一群にはペプチド性の化合物が含まれます。ペプチド性のカスパーゼ阻害剤の反応性が可逆的か不可逆的かを決定するのは、C末端の構造です。
一般的にアルデヒド(-CHO)基を持つカスパーゼ阻害剤は可逆的ですが、CMK(chloromethyl ketone:-C(=O)CH2Cl)、FMK(fluoromethyl ketone:-C(=O)CH2F)やFAOM(fluoroacyloxymethyl ketone)の各官能基は反応性が高く、カスパーゼに不可逆的な共有結合を形成します。
特にFMKはCMKよりもわずかに反応性が低く、カスパーゼの反応中心に特異的な不可逆的阻害剤であると考えられるため、よく使用されます。
FMK系の化合物は多くの場合は、図1に示すZ-VAD-FMK(CAS 187389-52-2)のように、アスパラギン酸やグルタミン酸のカルボキシル基がエステル化されており、高い細胞膜透過性を持っています。
つまり、FMK系の阻害剤はより疎水度が高く、生細胞に取り込まれやすい化合物であると言えます。メチルケトンはカスパーゼの反応中心にあるチオール基を攻撃し、共有結合を形成します。
一般的にFMK系阻害剤のN末端はZ(benzyloxycarbonyl:-C(=O)-O-CH2-C6H5)基、ビオチンあるいはアセチル基です。これらの官能基はいずれも疎水度を上昇させるため、細胞膜透過性の上昇に寄与します。
その中でもZ基(図1の左端、ピンク部分)は他の二つの官能基と比較すると、阻害剤に高い細胞膜透過性を持たせます。
アルデヒド基を持つカスパーゼ阻害剤は、アルデヒドのカルボニル基がチオール基と可逆的な付加物を形成する低反応性の水和化合物です。阻害剤の反応性はpHや金属イオン等の条件により変化します。アスパラギン酸のカルボキシル基がアルデヒドに変化したタイプでは、酸-アルデヒドの平衡を保つ構造が、CHO型の阻害剤に細胞膜透過性を与えます。また、図2に示すように、細胞膜透過シグナルを付与したVAD-CHO型カスパーゼ阻害剤(CPP-VAD-CHO)も存在します。
以上、生理活性を持つ化合物の選択時に考慮すべきポイントと低分子化合物の選択例を紹介しました。目的の実験に適した阻害剤を選ぶ際、あるいは研究の計画を立てる際の参考にしてくださいね。
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