生命の息吹を守る新アプローチ:超硫黄(スーパースルフィド)が拓く呼吸器疾患治療の最前線

呼吸器を脅かす見えざる敵
私たちが生命を維持するために片時も休むことなく続ける「呼吸」。その最前線である気道と肺は、インフルエンザや新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のような感染症、大気汚染、喫煙、そして加齢といった、絶え間ない脅威に晒されています。これらの外的・内的因子は、時に深刻な炎症や組織破壊を引き起こし、慢性閉塞性肺疾患(COPD)や特発性肺線維症(IPF)といった難治性の慢性疾患へと進展することもあります。
このような呼吸器を標的とする多様な病態は、現代医療における大きな課題であり、世界中の人々の健康寿命を脅かす深刻な問題となっています。これまでの治療は、症状を緩和する対症療法が中心であり、根本的な解決に至るアプローチは限られていました。
しかし、もし私たちの体内に、これら多様な脅威から呼吸器を普遍的に守る防御システムが備わっているとしたらどうでしょうか。特定の疾患だけでなく、ウイルス感染から慢性炎症、さらには老化という普遍的な生命現象に至る広範な状態に対して保護的に作用する内因性の分子が存在する可能性が、近年の研究によって示唆され始めています。
複雑に絡み合う呼吸器疾患の病態解明と、革新的な治療法開発の鍵は、我々の身体が本来持つ精緻な生体防御機構の深部にこそ隠されているのかもしれません。
本稿では、その謎を解き明かす画期的な研究成果について、深く掘り下げていきます。
発見された「超硫黄」の保護的役割
本研究が明らかにした最も重要な発見は、「超硫黄」と呼ばれる硫黄化合物群が、生体の呼吸器系において極めて強力かつ広範な保護的役割を担っているという事実です。この分子は、インフルエンザやCOVID-19といった急性ウイルス感染症の病態進行を抑制するだけでなく、慢性閉塞性肺疾患(COPD)や肺線維症といった慢性的かつ進行性の疾患、さらには加齢に伴う肺機能の低下に対しても、防御的に機能することが突き止められました。
これは、これまで別々の疾患として捉えられがちだった様々な呼吸器疾患の根底に、超硫黄の減少という共通の脆弱性が存在しうることを示唆する、驚くべき知見です。超硫黄のこの普遍的な防御機能は、単なる一つの発見に留まりません。これは、呼吸器疾患の治療戦略におけるパラダイムシフトの可能性を秘めています。
従来のアプローチが個々の症状や特定の病理メカニズムを標的としていたのに対し、超硫黄という生体内の根源的な防御因子を制御することは、より上流で、かつ包括的に疾患の進行を食い止める新たな道を開くものです。超硫黄分子はすべての生物で生理的に形成される普遍的な生物活性代謝物としても知られています。
今後の研究の進展が、超硫黄分子による防御機構をさらに明らかにすることが期待されます。
超硫黄分子の生合成に着目
この画期的な発見は、国際的な科学雑誌であるNature Communications誌に掲載された論文「Supersulphides provide airway protection in viral and chronic lung diseases(超硫黄はウイルス性および慢性肺疾患において気道保護作用をもたらす)」において詳細に報告されています。
この研究は、東北大学大学院医学系研究科の赤池孝章(Takaaki Akaike)教授、本橋ほづみ(Hozumi Motohashi)教授、杉浦久敏(Hisatoshi Sugiura)教授らを中心とする研究チームによって精力的に進められました。彼らは、生化学、分子生物学、そして臨床医学の知見を融合させ、超硫黄の生理的役割の解明に挑みました。
研究チームは、超硫黄の保護的役割を証明するため、その生合成を担う中心的な酵素に着目しました。
赤池教授らは以前の研究で、哺乳類においてシステイニルtRNA合成酵素(CARS)が主要なシステイン過硫化物合成酵素(CPERS)として内因性の過硫化物産生にのみ寄与しているのに対し、CARSのミトコンドリアアイソフォームであるCARS2がミトコンドリアの生合成と生体エネルギー変換を媒介していることを発見しました。
この知見に基づき、研究チームはCARS2遺伝子の機能を部分的に欠損させた遺伝子改変マウスを作製しました。このマウスを用いてインフルエンザウイルス感染実験や、薬剤によってCOPD 様の病態を誘発する実験が行われました。
具体的には、インフルエンザウイルスをCars2欠損(Cars2 +/−)マウスに感染させ、肺組織の損傷、致死率および感染肺の炎症性変化を評価した結果、通常のマウスに比べて肺の損傷や炎症が著しく悪化し、致死率も高まることが確認されました。
ウイルスから慢性炎症まで、広範な防御機構
研究チームは、超硫黄がどのようにしてウイルスと戦うのか、その具体的なメカニズム解明にも成功しています。
例えば、SARS-CoV-2を用いた実験では、超硫黄がウイルスの増殖に不可欠な二つの主要なチオールプロテアーゼ(PLproおよび3CLpro)の活性を直接的に阻害することを見出しました。
さらに、ウイルスの表面に存在するスパイクタンパク質の構造維持に必要なジスルフィド結合を、超硫黄が攻撃し切断することで、ウイルスの細胞への感染能力そのものを奪うことも明らかにしました。
これは、超硫黄が多角的なアプローチでウイルスの脅威を無力化する、強力な抗ウイルス因子であることを示しています。
さらに、この分子の防御範囲は急性感染症に留まりません。COPDモデルマウスを用いた実験では、超硫黄の合成誘導体であるグルタチオントリスルフィド(GSSSG)を外部から投与することで、肺気腫の進行や炎症、さらには疾患の一因とされる細胞老化が有意に抑制されることが示されました。
この治療効果は、COPD患者の気道から採取した細胞で超硫黄の産生が低下しているという観察結果とも一致し、その臨床的妥当性を強く裏付けています。また、研究チームと島津製作所との共同研究により開発した呼気オミックスという革新的な生体情報モニタリング技術により、COVID-19患者の呼気中で超硫黄関連物質が増加していることが確認され、将来的な診断技術への応用にも大きな期待が寄せられます。
呼吸器医療の新たな可能性
本研究が提示した一連の証拠は、超硫黄が単なる生体内の代謝産物ではなく、ウイルス感染、慢性炎症、そして老化といった多様なストレスから呼吸器系を保護する、極めて重要な保護分子であることを改めて明確に物語っています。
これまで個別の疾患として扱われてきた病態の多くに、超硫黄の産生低下という共通の基盤が存在する可能性が示されたことは、呼吸器疾患研究における大きなブレークスルーです。この分子が持つ抗酸化、抗炎症、抗ウイルス、そして抗細胞老化といった多面的な機能は、生命が進化の過程で獲得した、呼吸という根源的な機能を維持するための、洗練された防御システムの核心部分を担っていると考えられます。
この発見は、今後の呼吸器疾患治療に新たな光を投げかけるものです。超硫黄そのものや、その産生を安定的に供給する化合物(GSSSGなど)を標的とした創薬は、既存の治療法とは全く異なるアプローチで、多くの患者に希望をもたらす可能性があります。
また、呼気中に排出される超硫黄をバイオマーカーとして利用する診断技術が確立されれば、疾患の早期発見や重症化予測、さらには治療効果のモニタリングが可能となり、より精密な個別化医療の実現に繋がるでしょう。超硫黄研究は、呼吸器医療に新たな可能性をもたらし、その臨床応用への道のりが拓かれようとしています。
参考文献
本記事はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスCC BY 4.0のもとで下記の論文を参考にして作成しています。
Matsunaga, T., Sano, H., Takita, K. et al. Supersulphides provide airway protection in viral and chronic lung diseases. Nat Commun 14, 4476 (2023).
https://doi.org/10.1038/s41467-023-40182-4
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