<研究最前線>エイズウイルス感染の仕組みを解明!治療薬の突破口に
エイズ治療の鍵を握る宿主細胞側の因子を探る
エイズの原因であるHIVは、人の免疫系の司令塔であるTリンパ球細胞に感染し、免疫機能を奪っていきます。発熱、発疹、のどの痛みや疲労など、最初はインフルエンザのような症状が現れますが、病態が進行するにつれて、通常では健康に害を及ぼさない弱い菌やウイルスが原因で重症になったり、がんが発生しやすくなったりします。もし、そのまま適切な治療を施さなければやがて死に至ってしまいます。
現在、エイズの治療薬として、HIVの増殖や侵入を防ぐための様々な薬が開発されています。東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科ウイルス制御学分野の武内寛明先生は、HIVが宿主細胞に感染するためには、リン酸化酵素である「MELK」が必要であることを発見し、感染のメカニズムの一端を明らかにしました。世界中のエイズ研究者が取り組んでいた謎を、どのような方法で解明したのでしょうか。武内先生に研究の詳しい内容についてお話しいただきました。
―武内先生が同定したMELKとはどのようなタンパク質なのでしょうか。
MELKというのは「Maternal Embryonic Leucine Zipper Kinase」の頭文字を取って名付けられていて、胚発生や細胞周期に必要なタンパク質として知られています。通常は細胞内でリン酸化酵素として働きます。これまで、MELKがウイルス感染に関わっているという話はまったくありませんでした。私たちの研究で初めて、宿主細胞にあるMELKの働きを阻害するとHIVがTリンパ球細胞に感染できないことがわかったのです。
HIVというのは、遺伝情報をRNAとしてもっているレトロウイルスの仲間です。HIVはまず、感染標的細胞の細胞膜表面に取りついて、コアと呼ばれるウイルスタンパク質であるキャプシドタンパク質で構成されている構造体を宿主細胞内に送り込みます。コアの中には自身のRNAや複製に必要な酵素類等が入っています。
宿主細胞は異質なものを排除しようとして侵入者を攻撃しますが、コアに守られたウイルスRNAは安全です。ただし、いつまでもコアの中にいるわけにはいきません。ウイルスは宿主のシステムを借りないと増殖できないため、コアを少しずつ開き、宿主側からウイルス複製に必要な材料を供給してもらう必要があるのです。このとき、コアが早く開きすぎても遅すぎてもダメです。適切なタイミングでコアが開いていく、すなわち崩壊していく必要があります。このコア崩壊のタイミング制御を担っていたのがMELKだったのです。
コア崩壊のタイミングがHIVの感染成立に必要だということは、以前から知られていました。でも、そのメカニズムは長い間謎のままで、多くの研究者が懸命にその謎を解き明かそうとしているところでした。
―先生は見事に犯人を探し当てたのですね。
結果的にはそうですね。でも、実は、私は最初からコア構造体崩壊の原因を見つけようとしていたわけではないのです(笑)。 私がやったことは、HIVが必要とする宿主細胞側の要因を網羅的に解析したことでした。そのときに、有力な候補として見つかってきたのがMELKで、詳しく調べていくと、先ほどお話したような役割を担っていることがわかったのです。
具体的には、ゲノムワイドRNA干渉スクリーニング(※)を用いて解析を行いました。ヒト機能遺伝子を標的としてRNA干渉を引き起こす材料であるshort hairpin RNA(shRNA)がそろっているシグマ アルドリッチのMISSION shRNA ライブラリーを宿主細胞であるヒトTリンパ球細胞に導入し、機能遺伝子発現を抑制したノックダウンTリンパ球細胞ライブラリーを作製しました。
コア崩壊プロセスに関与する宿主因子を探してゲノムワイドスクリーニングを行っている研究グループは他にもたくさんありました。その中で、なぜ私たちのような小規模の研究室が最初に見つけることができたかというと、それは敢えて難しい技術に挑戦したからです。より本物の感染現象に近い実験系にこだわったことが大きな理由です。
(※)ゲノムワイドRNA干渉スクリーニング…RNA 干渉は、21-23 塩基対から成る二本鎖 RNA と相補的な塩基配列を持つmRNAが分解される現象。ゲノムワイドRNA干渉スクリーニングは、RNA干渉を利用して特異的な細胞間/分子間相互作用を網羅的に解析する方法として用いられます。
確かな技術と知識があるからこそ冒せたリスク
2008年にゲノムワイドRNA干渉スクリーニングでHIV感染を制御する宿主側の要因を網羅的に探索した結果が、3つ発表されました。しかし、それぞれのグループが数百個ほど同定した遺伝子の中で、共通しているものは少なく、追試をクリアして確かにこれは本物だと言えるものは、現時点においてもわずか数種類しか確認されていません。恐らく網羅的解析の解像度が低かったのではないかと考えられます。
このとき、多くの人は、数百個の候補のどれが本物だろうかという考え方をしていましたが、私は、なぜこんなに共通するものが少ないのだろうかと疑問に思いました。実験の手法自体を疑ったのです。
先ほど述べたHIV研究のゲノムワイドスクリーニングでは、本来の感染標的細胞ではない細胞を使い、さらにウイルスも本物のウイルスではなく人工的に加工したシュードタイプウイルスを使用していました。解像度が低いのは、本物を用いた実験系を使用していないからではないかと私は考えました。そこで、Tリンパ球とHIVを用いる本来のHIV感染環境下でゲノムワイドスクリーニングを行う実験系を考案しました。今まで行われていない方法に挑戦したおかげで、MELKの新たな役割が見えてきたのです。
―なぜ他の人はTリンパ球とHIVで実験を行わなかったのでしょうか?
当時は技術的に難しい部分が多かったからだと思います。適切にノックダウンTリンパ球細胞ライブラリーを作れる人が少なかったのです。私は大学院のときに遺伝子導入ツールとしてレンチウイルスベクターを扱っていたので、その経験も活かせました。
Tリンパ球は浮遊細胞なので、RNA干渉を引き起こす道具であるsmall interfering RNA(siRNA)そのものを簡単に導入することができません。そこで私たちは、siRNAを発現するカセットをウイルスベクターに搭載することで、Tリンパ球細胞に導入することに成功しました。これでかなり本来の現象に近い状態でスクリーニングを行うことができたのです。
かなり苦労しましたが、実験系の解像度を上げるためには必要な過程でした。ゲノムワイドスクリーニングという手法自体はみんなわかっていても、本物の細胞とウイルスを使うリスクや手間を考えればハードルが高く感じるのは当然です。だから、敢えて挑戦しました。従来のやり方と同じでは本物の研究成果が出ないと思ったのです。
徹底したトレーニングで技術と知識を身につけ、リスクマネジメントもしっかり行ってこそ新たな挑戦ができます。そういう試みの中からパラダイムシフトが生まれるのではないかと思います。
薬剤耐性の起こらない治療法を目指して
MELKの活性を阻害する薬を開発できれば、HIVのDNA合成を防ぎ、増殖を止めることが出来ると考えられます。ただ、MELKはリン酸化酵素で、酵素の活性を阻害する薬は一般的に毒性が高い。他の酵素を邪魔せず、特異性を高め、かつ毒性をコントロールした形で世に出せるのか、そこが次の課題です。
―MELKを阻害しても健康に影響はないのでしょうか。
今のところ、大きな問題はないのではないかと考えています。もともとMELKはノックダウンライブラリー細胞から発見された宿主タンパク質ですから、MELKがノックダウンされていても細胞は死なないことは、ライブラリー細胞樹立の段階ですでに証明されています。また、MELKの働きをうまく補填するような宿主側分子があるため、副作用は出にくいのではないかと考えています。
―今後、先生の研究はどういう成果につながっていくのでしょうか。
まだ in vitro の実験ですが、MELKの酵素活性を阻害する化合物をリンパ球細胞に添加すると、HIVのDNA合成効率が低下することが確かめられました。この現象を生体内で起こすことができれば、有力なエイズ治療薬の候補となるのではないかと考えています。
臨床応用のことを考えますと、宿主側の因子であるMELKタンパクのようなウイルス感染制御宿主因子の働きを制御するアプローチは、非常に実用性が高い薬剤を開発できる可能性があります。
なぜならば、ウイルス増殖システムそのものを阻害する薬剤の場合、長期間投与することでウイルスが変異を起こし薬剤耐性を獲得してしまうことが大きな問題となっています。そうすると、さらに新たな治療薬を開発しなくてはならなくなり、いずれは打つ手がなくなってしまいます。また、HIVを体内から完全に排除することは難しく、現時点ではウイルスの増殖を抑える薬を生涯に渡って飲み続ける必要があります。
しかし、MELKは、HIV感染には必要不可欠な宿主タンパク質ですから、これを阻害するような薬剤を投与しても、ウイルスが薬剤耐性を獲得するような可能性は低いのではないかと考えられます。
今後はそうしたことも踏まえ、MELKを標的とした新規抗HIV薬の開発を、様々な分野の専門家と共に進めていきたいと考えています。
プロフィール
武内 寛明(たけうち ひろあき)
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科ウイルス制御学分野 講師
1973年生まれ。2003年東北大学大学院医学系研究科感染防御学講座微生物学分野博士課程修了。アメリカ国立衛生研究所・アレルギー/感染症部門(NIH/NIAID)visiting fellow、東京大学医科学研究所感染症国際研究センター特任助教を経て、2011年より東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科ウイルス制御学分野助教。2017年より現職。
関連リンク
「エイズウイルスの感染成立に重要な宿主タンパク質を発見―新たな治療法の開発へ期待」【武内寛明助教、山岡昇司 教授】
「エイズウイルスの感染成立に重要な宿主タンパク質を発見」【武内寛明 助教、山岡昇司 教授】
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