<研究最前線>サリドマイド催奇性はどのようにして解明されたのか
サリドマイド催奇性、その原因を追う
1950年代後半に催眠鎮静薬としてドイツで開発され、かつて日本でも睡眠薬や胃腸薬として広く販売されたサリドマイド。妊婦のつわり止めとしても用いられたこの薬は、世界規模の薬害を引き起こしました。サリドマイドには催奇性があり、妊娠初期に服用した場合に、胎児の死亡や、手や足、耳や内臓に重度の先天異常をもつ子の誕生を引き起こしたのです。
このため、1960年代にサリドマイドの発売は中止されましたが、のちにハンセン病や多発性骨髄種などに効果があることがわかり、現在は副作用に注意しながら再び使われています。
サリドマイドを安全な薬として用いるためには、催奇性の原因を知る必要があります。東京医科大学の伊藤拓水准教授は、研究員だった2010年に半田宏教授(当時は東京工業大学。現在は東京医科大学)のもとでサリドマイドの催奇性の研究に取り組み、標的となるタンパク質を世界で初めて発見しました。
多くの研究者が挑み続けても明らかにできなかった謎を、一体どのような方法で明らかにしたのでしょうか。伊藤先生にお話をうかがいました。
―なぜ、サリドマイドの研究をすることになったのでしょうか。
私が大学院に入ったときに、半田教授からサリドマイドの催奇性のメカニズムを研究してみないかと言われたのです。引き受けたものの、文献を読んでみて、大変なテーマだと思いました。数多くの研究者が挑んで、誰も答えに近づくことができていないのです。どうやって進めればいいのか非常に悩みました。
半田研究室では当時、遺伝子発現の研究をしていました。HeLa細胞の核のタンパク質を選択的に取って解析するという手法で実験していたのです。このときに用いるのは核抽出液だけなので、細胞質は大量に余っていました。
そこで私は、とりあえず、これを使ってサリドマイドの標的タンパク質が存在するかどうか、実験をしようと考えました。理詰めで思いついたわけではありません。とりあえず、目の前にHeLa細胞がたくさんあるから、やってみようと思ったのです。
普通なら0.2 mgで実験するところを、10 mgで行いました。これだけ大量にやれば、何かが起こるだろうと考えましたが、実験をしてみるといくつかの未知のバンドが出てきました。サリドマイドを溶かしてもう一度行うと、競合阻害が起こって2つのバンドがきれいになくなったため、これが当たりに違いないと思いました。
より詳しく知るために質量分析や濃縮、染色などを行って見つけ出したのが、セレブロンとDDB1という2つのタンパク質でした。最終的にセレブロンがサリドマイドの標的分子だとわかるわけですが、これを見つけたのは、2004年。修士のときです。そこから、さまざまな証明を行って『Science』に論文がアクセプトされたのが2010年ですから、まとまるのに6年かかったことになります。
―セレブロン発見後はどのような実験を行ったのでしょうか。
当時、セレブロンについての論文がほとんどなくて、どのような機能があるのかわかりませんでした。DDB1というタンパク質も同時に取れていたので、まずは、サリドマイドがセレブロンとDDB1のどちらに結合するのかを解明しようと考えました。
DDB1とセレブロンの組み替えタンパク質をそれぞれ作って調べたところ、サリドマイドと結合したのはセレブロンだけでした。DDB1はセレブロンとダイマーを作ることもわかりました。ちょうどそのころ、DDB1はユビキチンプロテアソーム系のタンパク質だということが知られ始めていたので、セレブロンもユビキチンリガーゼのサブユニットを構成するタンパク質だと判明したのです。
ここまではよかったのですが、その先の証明が停滞しました。サリドマイドはマウスには効かなかったのです。タイミングの良いことに、ゼブラフィッシュで研究をしている安藤秀樹先生(元東京医科大学准教授)が東工大に来られたので、ゼブラフィッシュで実験をすることにしました。
ゼブラフィッシュの受精卵をサリドマイド溶液の中で飼育すると胸びれが短くなりました。さらに遺伝子改変によってセレブロンを発現しないようにしたゼブラフィッシュを作成すると、サリドマイドを投与しなくても、胸びれや耳包が異常になりました。
次に、サリドマイドが結合しないように改変したセレブロン変異体の遺伝子をゼブラフィッシュに導入してみたところ、催奇性は抑えられました。これでサリドマイドの催奇性のターゲットがセレブロンだということが証明できたと思いました。
そこで、『Science』に論文を投稿しましたが、すんなりとは通してくれませんでした。ゼブラフィッシュだけでなく、もっとヒトに近い動物で実験したデータが見たいというコメントが返ってきたのです。
そこで今度は東北大学の小椋利彦教授と鈴木孝幸助教(現在、名古屋大学大学院生命農学研究科准教授)にお願いして、ニワトリで実験をしてもらいました。具体的には、私が作った変異体セレブロンをエレクトロポレーションでニワトリに発現させ、ニワトリにおいてもサリドマイドのターゲットがセレブロンであることを証明しました。いくつかのリバイスを経て、ようやく2010年に『Science』にアクセプトされました。(論文リンク)
―かなりインパクトの大きな発見ですが、見つけてから6年間、途中でライバルに先を越されるのではないかという不安や焦りはありませんでしたか?
私たちの研究室には半田ビーズという半田先生が開発した独自の技術があったので、そこまで心配はしていませんでした。
半田ビーズの正式名は「機能性ナノ磁性微粒子(FGビーズ)」。微小なプラスチックの玉の中に鉄化合物が入った構造になっています。ビーズの表面にサリドマイドをつなげ、細胞が溶けた溶液の中にビーズを入れると、サリドマイドと結合するタンパク質を、磁石で分離することができるのです。現在は製品化し、ほかの研究者たちも使っていますが、当時はまだ私たちの研究室だけの技術でした。
もちろん、ほかの方法で出し抜かれる可能性はありましたが、まだ20代ということもあって、半田先生による優しいご指導、丁寧な助言をもらいながら、目の前のやるべきことをやっていきました。不安や焦りはそれほどなかったと思います。
サリドマイドががんに効くメカニズム
前述したように、サリドマイドは催奇性をもつ恐ろしい薬剤であると同時に、ハンセン病やがんによく効く有用な薬です。実際に臨床の現場でもサリドマイドの構造をもとに作られたサリドマイド誘導体が用いられています。しかしながら、サリドマイドがどのような作用機序でがんを抑制するのかは知られていませんでした。
米国のセルジーン株式会社が開発したレナリドミドとポマリドミドというサリドマイド誘導体は、血液がんの一種である多発性骨髄腫に対して優れた治療効果を示します。すでに欧米や日本で認可されていますが、その作用機序はわかっていませんでした。そこで、セルジーン社と協力してそのメカニズムを研究することにしました。
詳しい実験の説明は省きますが、RNAiでセレブロンをノックアウトした骨髄腫細胞を作ると、レナリドミドやポマリドミドの増殖抑制効果がなくなったのです。セレブロンは催奇性だけでなく、がんの治療効果の作用機序にも関わるという結論が出ました。
さらに、サリドマイドがセレブロンと結合したあとに何が起こるのかも調べていましたが、これに関しては、他の研究グループに先を越されました。サリドマイドと結合したセレブロンが分解していたのは、リンパ球の発生と維持に必須の分子であるイカロスとアイオロスでした。
イカロスとアイオロスは、HeLa細胞にはほとんど存在していなかったため、私は見つけることができませんでした。セレブロンに関してはHeLa細胞を使ったおかげで発見できましたが、この場合は裏目に出ました。ケースバイケースですね。
―セレブロンは副作用にも治療にも関わるなんて、大当たりを釣り上げてしまったのですね。
修士のときに発見していますから、運が良かったのだと思います。とはいえ、チャンスが訪れたときに、それをチャンスだときちんと認識してつかみにいくことが重要です。面白いと思ったからこそ、深く掘り下げていくことができました。
若い人たちに言いたいのは、チャンスはあちこちに転がっているということです。それなのに、気づかなかったりチャンスが来ても何もしなかったりすることが多いのではないでしょうか。チャンスをチャンスだと気づくこと、面倒くさそうでもそれをやってみること。そのためにも実力を磨き好奇心をもつことが重要だと思います。
<プロフィール>
伊藤 拓水(いとう たくみ)
東京医科大学医学部准教授。
2010年東京工業大学大学院生命工学研究科にて博士号取得。同年同大学ソリューション研究機構ソリューション研究員、2012年同大学生命理工学研究科特任助教。2013年より東京医科大学講師を経て、2016年より現職。
<論文Pick Up!>
https://www.nature.com/articles/nature14628
https://www.nature.com/articles/nature18611
下記フォームでは、M-hub(エムハブ)に対してのご意見、今後読んでみたい記事等のご要望を受け付けています。
メルクの各種キャンペーン、製品サポート、ご注文等に関するお問い合わせは下記リンク先にてお願いします。
*入力必須