定説を覆す発見:中枢神経系の外に存在する多能性神経幹細胞の同定とその起源

神経科学の常識への挑戦
哺乳類の成体において、新たな神経細胞を生み出す能力を持つ神経幹細胞(NSC)は、脳の特定の領域や脊髄といった中枢神経系(CNS)にのみ存在するというのが、長年にわたる生命科学の定説でした。この常識は、神経系の発生や再生のメカニズムを理解する上での根幹をなすものであり、多くの研究の前提となってきました。アルツハイマー病やパーキンソン病、脊髄損傷といった神経疾患に対する再生医療の開発においても、このCNSに存在するNSCが主要なターゲットとされてきたのです。しかし、もしこの大前提が覆されるとしたら、神経科学の教科書は大きく書き換えられることになるでしょう。
もし、中枢神経系から離れた末梢組織(四肢、尾や肺など)に、中枢神経系の神経幹細胞と同等の能力を持つ未知の幹細胞が存在するとしたらどうでしょうか。それは、発生生物学における新たな発見であると同時に、再生医療に革命をもたらすゲームチェンジャーとなり得ます。今回ご紹介する研究は、まさにその驚くべき可能性に光を当て、神経幹細胞の存在領域に関する従来のドグマに真っ向から挑戦するものです。科学の進歩とは、時にこうした常識とされる壁を打ち破ることで加速されてきました。この研究は、その歴史に新たな1ページを刻むものとなるかもしれません。
末梢に潜む「第二の神経幹細胞」
本研究が明らかにした最も衝撃的な結論は、マウスの四肢や肺といった末梢組織内に、これまで存在しないと考えられていた多能性神経幹細胞が存在することを突き止めた点にあります。研究チームは、これらの細胞を「末梢神経幹細胞(peripheral Neural Stem Cells; pNSC)」と名付けました。特筆すべきは、このpNSCが、形態、高い自己複製能、そして神経細胞への分化能力において、脳から分離された標準的なNSCと驚くほど酷似していたことです。これは私たちの体内に新たな神経系の維持・再生機構が存在することを示す重要な科学的証拠となります。
さらに重要なのは、pNSCが神経堤幹細胞(NCSC)とは明確に区別される、独立した細胞集団であるという事実です。遺伝子発現プロファイルやエピジェネティックな特徴を詳細に解析した結果、pNSCの起源は、CNSを形成する源である神経上皮細胞(Neuroepithelial Cells; NECs)- 神経系の発生初期に神経管を形成する細胞にまで遡ることが明らかになりました。つまり、発生の初期段階で一部の神経上皮細胞が神経管から移動し、末梢組織に定着してpNSCとなったと考えられます。これは、末梢神経系が神経堤細胞のみから形成されるという従来の発生モデルを根底から見直す必要性を示すものであり、神経発生学におけるパラダイムシフトを引き起こす可能性を秘めています。
偶然の発見から生まれた科学的探求
この画期的な発見は、国際的な科学雑誌『Nature Cell Biology』に掲載された論文、「Multipotent neural stem cells originating from neuroepithelium exist outside the mouse central nervous system」(神経上皮に由来する多能性神経幹細胞はマウス中枢神経系の外側に存在する)によって世界に報告されました。研究を主導したのは、ドイツのマックス・プランク分子生物医学研究所や香港大学などに所属するドン・ハン(Dong Han)博士やハンス・シェーラー(Hans R. Schöler)博士らを中心とする国際共同研究チームです。彼らは、神経科学分野における長年の定説に鋭いメスを入れ、新たな地平を切り拓きました。
興味深いことに、この研究の端緒は、別の研究の再現実験中に偶然得られた観察結果でした。研究チームは当初、低pHストレスによって体細胞から多能性を持つ細胞を作製する実験に取り組んでいました。その過程で、予期せず神経幹細胞に似た細胞塊が出現することを発見したのです。この偶然の発見が、末梢組織に内在性のNSCが存在するのではないかという大胆な仮説へと繋がりました。最終的に研究チームは、低pH処理のような特殊な刺激を用いなくても、特定の培養条件下で末梢組織からpNSCを安定的に分離・培養できることを証明し、その存在を確固たるものにしたのです。この粘り強い探求が、画期的な発見へと結実しました。
先端技術が解き明かすpNSCの正体
研究チームは、pNSCの正体を多角的に解明するため、最先端の実験技術を駆使しました。まず、特定の遺伝子が発現すると蛍光タンパク質が光るように設計された遺伝子改変マウス(レポーターマウス)を用いることで、生体内のどの細胞がpNSCの候補であるかを視覚的に追跡しました。特に、初期神経幹細胞のマーカーであるSox1を発現する細胞がpNSCの起源であることを突き止めました。さらに、1細胞レベルで遺伝子の働きを網羅的に解析するシングルセルRNAシーケンシング技術により、pNSCの遺伝子発現パターンが脳のNSCと酷似し、神経堤幹細胞とは全く異なることを明らかにしました。免疫染色によってNSCのマーカーの発現が確認され、Milliporeのマウス抗Nestin抗体(MAB353C3)を用いて、pNSCがNestinを発現することを確認し、これらの細胞が真の神経幹細胞であることを示しました。これらの技術的アプローチが、pNSCの同定と特性評価に決定的な役割を果たしたのです。
pNSCの多能性を示す証拠
pNSCが真に機能的な幹細胞であることを証明するため、巧みな機能検証実験が行われました。まず、培養皿の上(in vitro)でpNSCを分化誘導すると、神経系を構成する主要な三つの細胞、すなわちニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトへと変化することを確認しました。pNSCから分化したニューロンの同定にマウス抗Tuj1抗体が使用され、pNSCがニューロンに分化する能力を持つことが視覚的に示されました。Milliporeのウサギ抗GFAP抗体(AB5804)とマウス抗O4抗体(MAB345)は、それぞれアストロサイトとオリゴデンドロサイトへの分化を確認するために使用され、pNSCの三系統分化能力を確実に実証しました。特に重要だったのは、pNSCが神経堤幹細胞(NCSC)とは異なる細胞集団であることを証明する過程でした。ウサギ抗p75抗体(AB1554)を用いることで、pNSCが神経堤細胞マーカーp75を発現しないことを明確に示し、これらの細胞が既知の多能性神経堤幹細胞(NCSC)とは全く異なる新規の幹細胞集団であることを決定づけました。
さらに、これらのpNSCをマウスの成体の脳に移植するin vivo実験では、移植されたpNSCが脳組織に生着し、そこでも同様に三系統の神経細胞へと分化して周囲の組織と統合される様子が観察されました。移植されたpNSCから分化した成熟ニューロンの同定にMilliporeのマウス抗NeuN抗体(MAB377)が使用され、pNSCの生体内での機能的分化能力を実証しました。また、Milliporeのウサギ抗GABA抗体(ABN131)やウサギ抗ChAT抗体(AB143)により、分化したニューロンが特定の神経伝達物質を産生することが確認され、pNSC由来ニューロンの機能的成熟度が示されました。分化したニューロンが電気的な興奮性を持つことも電気生理学的な手法で確認されており、pNSCが単に存在するだけでなく、機能的な神経回路を再構築しうる高い潜在能力を持つことが示されたのです。
神経再生医療への新たな道標
本研究は、哺乳類の神経幹細胞は中枢神経系(CNS)にしか存在しない、という神経科学における長年の常識を覆す極めて重要な成果です。末梢組織から発見されたpNSCは、脳由来のNSCと見分けがつかないほどの類似性を持ちながらも、その起源は神経堤幹細胞(NCSC)とは異なる神経上皮細胞に由来する、全く新しい幹細胞集団であることが証明されました。この発見は、生命の設計図がいかに精巧で、そして我々の理解をまだ超える部分を多く含んでいるかを改めて示しています。生命科学の教科書に、pNSCという新たな項目が加わる日はそう遠くないかもしれません。
このpNSCの発見がもたらす最大のインパクトは、再生医療への応用可能性にあります。脳や脊髄といったCNS深部に存在するNSCを採取するには、侵襲性の高い外科手術が必要であり、患者への負担が大きいという課題がありました。しかし、pNSCは外科的侵襲が少ない末梢組織(肺や皮膚など)に存在するため、より安全かつ容易に採取できる可能性があります。 これが実現すれば、神経損傷や神経変性疾患に苦しむ患者自身の細胞を用いた、拒絶反応のリスクが低い自家細胞移植治療への道が大きく拓かれます。pNSCは神経再生医療の新たな治療選択肢となる可能性があります。
参考文献
本記事はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスCC BY 4.0のもとで下記の論文を参考にして作成しています。
Han, D., Xu, W., Jeong, HW. et al. Multipotent neural stem cells originating from neuroepithelium exist outside the mouse central nervous system. Nat Cell Biol 27, 605–618 (2025).
https://www.nature.com/articles/s41556-025-01641-w
関連アプリケーション紹介
上記の論文で記載されている実験手法に関連するツールをご紹介いたします。
論文掲載の多い抗体

上記の論文に示されているように、MilliporeⓇおよびSigma-AldrichⓇの一次抗体および二次抗体はウェスタンブロッティング、免疫染色、ELISAなど日々の実験に利用され、多くの論文に掲載されています。
神経学研究に有用なツール

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