光で導く技術:オルガノイドにおける遺伝子発現の時空間的制御

光による遺伝子発現制御をオルガノイドで実現
幹細胞が自己組織化して形成されるオルガノイドは、生体の組織機能を模倣した三次元構造体であり、発生生物学や疾患モデリング研究において重要なツールとなっています。この三次元培養技術により、これまでアクセスが困難だったヒトをはじめとする生物の発生過程や複雑な特性を、より生体に近いモデルで研究できるようになりました。
しかし、従来のオルガノイド研究では、発生を誘導するシグナル分子を培養液に添加する方法が主流であり、生体内で見られるような精緻な遺伝子発現の空間的・時間的パターンを意図的に作り出すことには限界がありました。生命の複雑な発生過程を真に理解するためには、より精密な制御技術が求められていました。
この課題に対し、光を用いて遺伝子の働きを操作する「光遺伝学(オプトジェネティクス)」が新たな扉を開きます。特定の波長の光に応答するタンパク質を細胞に導入し、外部から光を照射することで狙った遺伝子のスイッチを好きなタイミングで、好きな場所でON/OFFするという、光による遺伝子発現技術が進展を見せています。
本研究は、この光遺伝学と最先端の遺伝子発現制御技術を融合させることで、オルガノイドという複雑な三次元構造の中で、遺伝子発現をプログラムするという画期的な手法を開発しました。さらに、空間トランスクリプトミクス技術により、オルガノイド内の遺伝子発現を詳細に解析しました。
光刺激による遺伝子発現の時空間制御
本研究の重要な成果は、光の照射パターンを設計することで、オルガノイド内部に特定の遺伝子発現パターンを誘導し、組織のパターン形成を制御できるようになった点です。これまで自己組織化に依存していた組織形成プロセスに対し、研究者が光刺激による遺伝子発現制御を通じて能動的に介入し、特定の遺伝子が組織形成に与える影響を直接検証することが可能になりました。
さらに、このアプローチの真価は、光による遺伝子の「操作」と、その結果として空間的な分布を詳細に読み解く「解析」を組み合わせた点にあります。研究チームは、光で特定の遺伝子を活性化あるいは抑制させた後、空間トランスクリプトミクスという技術を用いて、オルガノイド内のどの細胞で、どの遺伝子が発現しているかを空間的に解析しました。
これにより、光という入力(インプット)が、どのように遺伝子ネットワークを変化させ、最終的な組織構造の形成という出力(アウトプット)に繋がるのか、その関係を高解像度で明らかにすることができます。
精密な遺伝子制御を可能にした技術的基盤
この画期的な研究成果は、科学雑誌Nature Methodsに掲載された論文「Spatiotemporal, optogenetic control of gene expression in organoids(オルガノイドにおける遺伝子発現の時空間的な光遺伝学制御)」で報告されました。 主にドイツのマックス・デルブリュック分子医学センターに所属するイヴァーノ・レニーニ(Ivano Legnini)博士やニコラウス・ラジェウスキー(Nikolaus Rajewsky)博士らの研究チームによって遂行されたものです。
研究の背景には、発生過程で「モルフォゲン」と総称されるシグナル分子が濃度勾配を形成し、その濃度に応じて細胞が異なる運命をたどり、組織のパターンが形成されるという基本原理があります。この現象をオルガノイドで再現・検証することが、本研究の大きな動機となりました。
研究チームは、この目的を達成するために、光で発現を制御する複数の遺伝子発現ツールを検討しました。例えば、光誘導による遺伝子の活性化のために、CRISPR-Cas9 ベースの光活性化転写システム(SCPTSシステム)や、光と薬剤の両方で制御可能な「PA-Cre-Loxシステム」などが挙げられます。
そして、これらのモジュールを導入した細胞に対し、デジタルマイクロミラーデバイス(DMD)を組み込んだ顕微鏡から、コンピューターで設計した任意のパターンの光を照射することで、単一細胞レベルの解像度で遺伝子発現を時空間的に制御することに成功したのです。
空間トランスクリプトミクス技術でもたらされた発現パターンの可視化
この新技術の威力を実証するため、研究チームはヒトiPS細胞から作製した神経オルガノイドをモデルに選びました。特に、脊椎動物の神経管が形成される際に、その腹側のパターン形成を決定づける極めて重要なモルフォゲンであるソニック・ヘッジホッグ(SHH)に着目しました。
そして、PA-Cre-Loxシステムを用いて、オルガノイドの特定の一部分にのみレーザー光を照射し、その領域の細胞だけでSHHが持続的に産生されるような「人為的なオーガナイザー」を作り出したのです。この光照射による局所的なSHH発現の誘導は、神経管の発生初期にSHHが局所的に分泌される状況を模倣する試みであり、新技術の生物学的妥当性を試す絶好の実験系でした。
この局所的なSHHの発現誘導がオルガノイド全体にもたらす変化は、空間トランスクリプトミクス解析により確認されました。Visiumプラットフォーム技術により、組織切片の各位置から補足したRNAを解析することで、空間的な遺伝子発現データ、具体的には、SHH経路のターゲットや神経管細胞のマーカーを含むトランスクリプトの発現を測定しました。この空間的トランスクリプトミクス解析や免疫染色の結果、SHHが産生された領域を起点として、その距離に応じた同心円状の遺伝子発現パターン形成が明らかになりました。
具体的には、SHHの近傍では腹側神経管のマーカーであるFOXA2やNKX6-1が、少し離れた領域ではOLIG2が発現するといった、生体内で見られるような精緻な領域化(パターニング)が、神経オルガノイド内で再現されました。この結果は、単一のシグナル分子が、細胞の運命を決定する複雑なカスケードを引き起こす能力を持つことを示しています。
未来の生命科学を照らす一筋の光
結論として、本研究は、光遺伝学(オプトジェネティクス)と空間トランスクリプトミクスを組み合わせることで、光により遺伝子発現を制御し空間的な変化をとらえるという革新的な技術の可能性を示しました。
これにより、研究者は発現制御による変化を時空間的に解析するという可能性が広がりました。発生過程における細胞間コミュニケーションや、組織が三次元的な形を構築していくダイナミクスなど、これまで解明が困難であった多くの生命現象に、新たな光を当てることが期待されます。この技術は、オルガノイドや組織内の発生過程や疾患モデルの理解を深めるための重要な手段となるでしょう。
このアプローチの応用範囲は、発生生物学にとどまりません。例えば、がんオルガノイド(Tumoroid)内の一つの細胞でがん遺伝子を活性化させ、その細胞が周囲の正常な細胞にどのような影響を与えていくかを時系列で追跡することも考えられます。今後もオプトジェネティクスやトランスクリプトミクス技術の発展により、光による発現制御が生命科学研究の強力なツールとなると期待されます。
参考文献
本記事はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスCC BY 4.0のもとで下記の論文を参考にして作成しています。
Legnini, I., Emmenegger, L., Zappulo, A. et al. Spatiotemporal, optogenetic control of gene expression in organoids. Nat Methods 20, 1544–1552 (2023).
https://www.nature.com/articles/s41592-023-01986-w
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