<研究者インタビュー>森川 桃—神経細胞内の輸送機構から脳機能や精神疾患を明らかにする―前編―

<研究者インタビュー>森川 桃—神経細胞内の輸送機構から脳機能や精神疾患を明らかにする―前編―

ヒトの体重の約2%しかない脳では、神経細胞同士が複雑なやりとりを行っています。そのやりとりが何らかの理由で破綻すると、精神疾患や記憶・学習障害につながると考えられています。

筑波大学医学医療系解剖学・神経科学研究室に所属する森川桃特別研究員(学振SPD)は、神経細胞内の輸送機能に注目し、マウスを用いて分子レベルから個体レベルまでの解析に取り組んでいます。

インタビュー記事の前半では、森川博士が一貫して研究している細胞内輸送について、お話を伺いました。

神経細胞内における受容体輸送と脳機能

—まずは研究室全体のテーマを教えてください。
武井陽介教授のもと、神経細胞間の接合部位であるシナプスの形成や機能に注目し、精神疾患や記憶障害などの原因解明や診断・治療法の開発の手がかりをつかむことを目標にしています。そのために、大きく3つのテーマに分けて研究をしています。「精神疾患モデル動物の開発と解析」、「神経回路機能と可塑性を支える細胞骨格制御・細胞内物質輸送機能研究」、「細胞皮質領域の形成とシナプス発達の分子基盤の解析」の3つです。

その中でも私は、神経細胞内の物質輸送異常のモデルマウスの開発と解析に取り組んでいます。

—森川さん自身の研究テーマについて詳しく教えてください。
シナプスに局在する受容体の細胞内輸送について研究しています。

神経細胞の状態によって、神経伝達物質を介した情報のやり取りの「効率」がダイナミックに変化すると考えられています。効率が高くなれば情報のやり取りがスムーズになり、いわゆる「記憶の定着」が起きます。しかし、つらい記憶が定着しすぎると、ヒトでは心的外傷後ストレス障害(PTSD)になるように、記憶の忘却もまた必要です。

記憶の定着や忘却に関係するタンパク質の一つが、神経細胞の樹状突起にあり、シナプスの入力側である「スパイン」で発現するNMDA型グルタミン酸受容体(NMDAR)です。NMDARからCa2+が流入すると、流入量に応じて、スパインが拡大し長期増強(LTP)とよばれるシナプス結合の強化が起きたり、スパインが縮小して長期抑圧(LTD)が生じたりします。

LTPやLTDに関わるNMDARは、NR1とNR2のヘテロ2量体2セットから構成されています。さらにNR2サブユニットには4種類あり、その中でも特にNR2AはCa2+透過能が小さく、NR2BはCa2+透過能が大きいという特徴があります。NR2AとNR2Bの比率によってCa2+流入量がスパインごとに変わり、LTPとLTDのどちらが起きやすいかに関わると考えられます。

図1 NMDARはNR1とNR2のヘテロ2量体2セットからなる4つのサブユニットから構成され、Ca2+透過性が高いNR2Bの割合が多いと長期増強(LTP)が生じやすい

—NMDARと細胞内輸送とはどう関係するのですか。
NR2AとNR2Bは神経細胞内で、キネシン分子モーターであるKIFによって運ばれています。さらに、ヒトの統合失調症患者の中には、KIF遺伝子に変異をもつ人がいることがわかっています。KIFがNR2AとNR2Bを細胞内で輸送するしくみを明らかにすることで、統合失調症の原因や、ひいては脳の機能の解明につながると考えています。

そこで私は、KIFに変異をもつマウスを用いて、神経細胞内の分子機序と、KIF変異が個体の行動にどう影響を及ぼすかについて研究を続けています。

神経活動依存的なKIF17の局所的な分解・合成機構

—KIFとNR2A/NR2Bの関係について詳しく教えてください。
KIFは細胞内で微小管に沿って移動し、タンパク質を積荷として輸送します。私たちが2019年に報告したのは、哺乳類で45種類あるKIFのうちKIF3BがNR2Aを輸送しており、統合失調症の原因になるというものです*1

ヒトの統合失調症患者からKIF3B遺伝子変異を同定し、マウスのKIF3B遺伝子のヘテロ欠損マウスを作製しました。このマウスでは、他のマウスへの興味が低下し、記憶力の低下など統合失調症のような症状を示しました。そして、神経細胞内においてKIF3BはNR2Aと結合して輸送していることを見いだしました。

その後、KIF3B遺伝子ヘテロ欠損マウスが、ベタインという化合物を摂取すると統合失調症の症状が緩和するという報告を出しました*2。ベタインは、ホモシスチン尿症という遺伝性疾患の治療薬として既に承認されており、統合失調症の新たな治療薬になる可能性があります。

—NR2Bについては何か明らかになっているのでしょうか。
以前から武井先生や、私が以前所属していた東京大学大学院医学系研究科の廣川信隆先生らが、NR2Bは別のKIFであるKIF17が輸送していることを明らかにしていました*3。KIF17の変異もヒトの統合失調症患者の一部で見られているものです。

このKIF17には興味深い性質があることを私たちは発見しました。まず、KIF17は神経活動を契機に急速に分解され、しかも30分以内には元の量に戻ることがわかりました。その原因を調べると、KIF17はmRNAの状態で樹状突起内部に存在し、神経活動が生じるとmRNAからタンパク質が合成されることが観察されました。つまり、神経活動依存的なKIF17の局所的な分解・合成機構があるということです(図2)。

図2 神経活動を契機にKIF17が分解されてNR2Bの輸送が廃止されるが、直後から樹状突起内にあるmRNAからKIF17タンパク質が合成され、輸送が再開する

—KIF17はmRNAの状態で存在することで、必要なときに速やかに翻訳される、ということですね。
そういう仕組みだと思います。また、KIF17のmRNA内にある樹状突起内に存在するために必要なコード領域(3’側非翻訳領域)を海馬の神経細胞から欠失させると、個体レベルでは恐怖記憶が消去されにくくなることもわかりました。これは、ヒトにおけるPTSDに似た症状です。

このように、KIFとNR2A/NR2Bの分子機序だけでなく、マウスの脳の高次機能に与える影響も同時に調べています。

NR2A/NR2Bの比率はどのように保たれているのか

—NR2Aを輸送するのはKIF3B、NR2Bを輸送するのはKIF17と、別々のキネシン分子モーターによって独立に運ばれているということですね。
私も最初はそう思ったのですが、それほど単純な話でもないようです。

というのも、KIF3B遺伝子ヘテロ欠損マウスはNR2AだけでなくNR2Bの量も減少しているのです。また、KIF17ノックアウトマウスも、NR2A/NR2Bの両方とも量が減っています。KIF3BとKIF17という別々の輸送ルートがあるなら、NR2AとNR2Bのどちらかだけ減少すると考えるのが普通です。

そこで私は、NR2A/NR2Bの「比率」を保つための何らかの機序があると仮説を立て、検証を行なっています。その比率を維持することが、適切なCa2+透過量につながり、適切なLTPやLTDを引き起こすのに必要だからです。そして、その比率が破綻したときに統合失調症につながるのではないかと考えています(図3)。

図3 KIF17はNR2Bを輸送し、KIF3はNR2Aを輸送する。しかし、NR2A/NR2Bの比率を保つ制御機構は不明で、この制御機構が破綻すると統合失調症につながるのではないかと森川博士は考えている

この研究室では、KIF3BとKIF17の欠損マウスが両方あります。神経細胞内のNR2A/NR2Bの輸送機構の解明と、これらの分子と個体レベルの行動との関係を明らかにすることが、今後の私の目標です。

—ありがとうございました。後半の記事では、森川博士自身のことについてお話を伺います。

 

<References>

*1 Alsabban AH, et al. EMBO J. 2020;39(1):e101090.
*2 Yoshihara S, et al. Cell Rep. 2021;35(2):108971.
*3 Yin X, et al. Neuron. 2011;70(2):310-25.
*4 Iwata S, et al. Sci Adv. 2020;6(51):eabc8355.

プロフィール
2010年、東京大学理学部生物学科卒業。2016年に東京大学大学院医学系研究科細胞生物学・解剖学教室(当時)の廣川信隆教授のもと博士号取得(日本学術振興会特別研究員DC2)。東京大学大学院医学系研究科にて博士研究員、理化学研究所脳神経科学研究センターにて訪問研究員を経て、2021年より筑波大学医学医療系解剖学・神経科学研究室(武井陽介研究室)の特別研究員(日本学術振興会特別研究員SPD)。

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