<研究最前線>分子と生物の間のブラックボックスを解明!生殖細胞のRNAバイオロジー

<研究最前線>分子と生物の間のブラックボックスを解明!生殖細胞のRNAバイオロジー

フロンティアを目指して

今から15年前、修士の学生だった山路剛史先生は、この先、研究者として生きていく上でどの分野を選べばよいかを考えていました。まだ誰もあまり足を踏み入れていない領域で、これから注目を集めそうなフロンティアは何だろうか、と。

ー山路先生が現在の研究領域を選択された経緯を教えてください。

僕が注目したのは、2つの研究の流れです。

1つは、遺伝子工学の発達によって遺伝子欠損マウスの作製が比較的容易になり、哺乳類動物の遺伝学的・発生生物学的研究が進んできたことです。それまでは哺乳類モデルといえばガンなどの異常組織から樹立された培養細胞モデルが主流で、遺伝子機能欠損実験も困難でした。ノックアウトマウスモデルを活用することで、従来の知見が個体レベルでどのような意義を持つのか解明されるようになりました。これまで信じられていたモデルが覆されてしまうこともしばしばありました。

もう1つは、RNA干渉の発見から始まった、「小分子ノンコーディングRNA」の研究です。マイクロRNA(miRNA)の生理学的重要性が発見され、それらが哺乳類でも保存されていることが判明したのもその頃です。私たちの細胞はおよそ2万の遺伝子を持ちますが、この使われ方を調節することで個々の細胞たちが異なる役割を担うわけです。小分子ノンコーディングRNAの発見は新しい遺伝子群の発見であり、新しい遺伝子発現調節機構の存在を意味しました。RNAレベルでの遺伝子発現調節機構を研究するRNA biologyに、僕も自然と興味を持ちました。

遺伝子をノックアウトすると、遺伝子の生理学的役割を調べることができますが、分子レベルで何が起こっているのかはわかりません。一方、生化学や細胞生物学を主な研究ツールとしていた当時のRNAバイオロジーは、分子間相互作用が詳細にわかっても、実際の生物の体の中での生理学的役割を決定するのが苦手でした。

2つの領域に橋を架ける

山路先生は、以上のような経緯から「そこにフロンティアがあるのではないか」と、このふたつの分野をつなぐ研究をしようと考えました。それから15年のときを経て、現在、オハイオ州シンシナティ市にラボを持ちPIとなって奮闘しています。道なき道を切り開き、生殖細胞に注目してRNAバイオロジーと遺伝学にコンピュータ解析を新たな武器として橋を架けた山路先生の研究内容とは——。

―2017年に出た『Nature』の論文「DND1 maintains germline stem cells via recruitment of the CCR4-NOT complex to target mRNAs」についてお話を聞かせてください。長文の大作ですね。

Extended Dataが9個もありますからね(笑)。

論文のステートメントはとてもシンプルなんです。でも、リバイスが大変でした。「これを言うんだったら、こういう側面からも検証してよ」と要求されて。生化学から遺伝学、そしてコンピューター解析までいろいろなことをやっているので、各方面から疑問が来てしまう。リバイスだけでRNAシークエンスが100個もあり、コストもかなりかかりました。

この論文では、シングルセルRNAシークエンスもやっていますし、PAR-CLIPやCRISPR-Cas9のような新しいテクノロジーも取り入れています。技術が発展して様々なことができるようになったのはよいことですが、その分、追加実験への要求が大きくなってきたような印象がありますね。

従来の説と正反対の働きだったRNA結合タンパク質DND1

―山路先生はなぜ生殖細胞のRNAバイオロジーを研究対象に選んだのでしょうか。

生殖細胞には2つのユニークな特徴があります。1つは、生殖細胞は受精したら胎盤にも胚にもなれるよう、全能性を再獲得することです。発生過程で分化多能性がどんどん狭められていく普通の細胞とは違う性質をもっているのです。もう1つは、独特のRNA制御様式を獲得していること。生殖細胞にしか発現していないRNA結合タンパク質がたくさんあるのです。

生命はRNAワールドから始まったという説があります。生命の永続性を保証する生殖細胞がユニークなRNA制御機構によってその機能を保証しているわけです。なんとも魅力的だと思いませんか?

―DND1というのはRNA結合タンパク質ですね。このDND1に注目した理由は?

DND1は生殖細胞系列に特異なRNA結合タンパク質のひとつで、生殖細胞の発生だけでなく、精巣における生殖細胞のがん化を抑える役割を持っています。つまり、正常発生とガン抑制に関わるRNA制御機構の研究モデルでした。

精巣性生殖細胞ガンにはがん化を促進するmiRNA(oncomiR)が過剰発現していることが知られています。興味深いことに、生化学的な解析から、DND1が正常な生殖細胞においてmiRNAの機能を抑える働きをすることが提唱されました。これらを合わせると、DND1がmiRNAの働きを抑えて、がん化を防ぐというストーリーが見えてきます。

僕たちは最初、DND1がmiRNAをどのように抑制しているのか、なぜそれが生殖細胞の正常発生とガン抑制を保証するのかを明らかにしようとして実験を始めました。

ところが、実際にやってみるとDND1はmiRNAの働きには何の関係もありませんでした。さらに、今までは、DND1はmiRNAの働きを抑えてメッセンジャーRNA(mRNA)を安定化させると考えられていましたが、結果は逆で、DND1はむしろmRNAの分解を誘導して発現を抑制していることがわかったのです。

―どうして今までのストーリーが覆ってしまったのでしょうか。

技術革新によって、DND1の標的mRNAを網羅的に決定することができるようになったことが理由です。私たちはPAR-CLIP法により、標的mRNAのどの部位の、どの配列にDND1が結合するのか、どのくらい高頻度に結合するのかを定量的に決定しました。それに基づいた緻密なコンピューター解析を行い、DND1による標的mRNAに対する影響を調べたのです。

また、生殖細胞の研究分野そのものが発展していたことも、この発見に大きく寄与しました。新しいモデルが本当に正しいかどうかを検証するには、生殖細胞系列の分化誘導系や、精子幹細胞の培養モデルが必要でした。このモデルに基づいて、生殖細胞の発生過程におけるDND1の役割を見直して行くことで、DND1が本当に制御している標的mRNA群が初めて明らかになったのです。

面白いことに、DND1は、特定の時期の生殖細胞で大量に発現することがわかっています。その時期の生殖細胞ではDND1がRNA分解酵素複合体を他のRNA結合タンパク質から奪ってしまう。つまり、DND1がハイジャックしてしまうんです。転写後遺伝子発現調節について、このような化学量論的な制御が行われていることを証明できたのは画期的でした。DND1の研究を介して、新規の転写後遺伝子発現制御機構を提唱することができました。

―DND1が今までの説と正反対の結果を示したときはどう思いましたか?

見つけたときは、テクニカルな失敗をしたなと思いました(笑)。周りの人もみんな信じてくれなくて、そんな馬鹿な……と言っていたのです。しかし、実験の数を重ねていて、すべて同じ結果を示していたので間違いないと確信しました。

系を立ち上げてから1年間でデータはほぼ取れたんです。2年目でストーリーができて、3年目で投稿して、それからリバイスとの戦いと、グラントの締切と、就職活動と。いろいろあってアクセプトまで時間がかかっていますが、実際の実験期間はそれほど長くありませんでした。

―『Nature』はポスドクのときの仕事ですね。ポスドクのときと、PIになられてから何か違いはありますか?

今まではラボの一員として課題に取り組んでいましたが、PIになってようやく自分自身のテーマに取り組めるようになりました。自分が本当に面白く感じることをできるようになった……と言いたいのですが、実際はまだラボを立ち上げたばかりで全然そんな実感はなくて。グラント取るための書類や論文を書いたりすることに追われて、想像していた姿と少し違いますね(笑)。

先日、僕の初の責任著者の論文を主要ジャーナルに投稿しました。ところが、競争相手に出し抜かれてしまいました。仕方がないので、早く掲載されるところに投稿し直しました。

『Nature』のときはあと一歩のところで競り勝ったんですが、今回は逆にあと一歩で負けました。競争は好きではないけれども、競争が激しいということは大事な研究ということですから、やりがいはあります。

―最後に、メルクの製品について感想やご意見をお聞かせください!

SNAP.i.dは商品が出てすぐに購入を決め、今でも気に入って使用しています。今まで3時間かかっていた過程が1時間ちょっとで終わるので、研究がとてもはかどる。1日に3サイクルできるようになって仕事のスピードが上がりました。消耗品は少しお値段が張りますが(笑)、その価値はあると思います。

今、いろいろなstem cellカルチャーを行うのにメディウムを自分で作っていますが、その材料のタンパク質製品のほとんどがシグマ製品を使っています。サイトカインなどのタンパク質は在庫切れによって数ヶ月間納期が遅れることがあります。実験が進められなくて困ってしまうので、さらなる在庫の充実を希望します。ミリポア製品ではESGRO (LIF)が好きですよ。

―最後にM-hubを見ている方にメッセージをお願いします。

M-hubの読者のみなさん、ぜひ、うちに来てください。ラボメンバー、絶賛募集中です。生殖細胞でのRNAバイオロジーは、今、とても面白い研究分野だと思います。

RNAバイオロジーに興味がある人だけでなく、情報系の人でコンピューター解析できる人も歓迎です。とんがった人に来てもらいたいです。大学院生で1年間仕事して帰りたいという人でもいいので、興味がある方は気軽にウェブサイトのコンタクトまで連絡してください!

プロフィール

山路 剛史(やまじ まさし) ウェブサイト: Y-LAB
Divisions of Reproductive Science & Human Genetics, Cincinnati Children’s Hospital Medical Centerアシスタント・プロフェッサー。1979年生まれ。理研ジュニアリサーチアソシエイトを経て、京都大学生命科学研究科修了(ph.D)。引き続き京都大学斎藤通紀研究室にてCREST・ERATO研究員。2012年よりJSPS海外特別研究員としてハワードヒューズ医学研究所ロックフェラー大学RNA分子生物学研究室でポスドク。2018年2月より現職。

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